親父。

2003年11月25日
俺の親父は。

すごく家庭的な人だ。
子供の頃から親父の事が大好きだった。
親父は公務員なので、仕事が忙しくて家庭をかえりみないなんてことはなかった。
いつも遊んでくれた。

いろんな遊びを教えてくれた。

竹馬を作ってくれた。
水鉄砲も作ってくれた。
将棋や麻雀も教えてくれた。
花札も。

田舎の自然の中で育ったので、
泳ぎも、山菜取り、山芋堀も親父に教わった。
自転車も親父に。
野イチゴや、マッタケ、アミタケなんかも採りにつれて行ってくれた。
川釣り、うみ釣り。
自然の中で出来る事、沢山教わった。

スポーツも得意だった親父。
キャッチボールなんかもよくやった。
プロ野球の観戦なんかにもつれて行ってくれた。


親父の嫌な部分を意識し始めたのは。
中学になってから。
丁度、俺も反抗期に入っていて。

親父は、学校の教員だった。
学校の教員、公務員という立場で、社会の目を気にする親父が嫌だった。

お袋がいつもこんな事を言っていた。
「おまえが悪い事をすると、お父さんは仕事を辞めなければいけないんだよ」と。

ある日。
友達から、ジュース代を借りた。
次の日に、返すのを忘れて。
友達は冗談半分で、電信柱数カ所に「ゆうま、金返せ!」って、張り紙をした。
それを見た親父は、血相を変えて俺をどなりつけた。

高校の進学の時。
「教師の息子が、進学校に入学できないと恥ずかしい」と言った。

その頃から俺は、親父の生きる道と違う方向へ進んで行く。
教師の息子は、教師になるってことはよくある話だ。医者の息子が医者になり、職人の息子が職人になることが珍しくないように。

親父は、自分と同じように、公務員のような安定した道に進んでほしかったが、俺は、自分で自分の道を開いて行くような仕事へと進んで行く。

高校を卒業して、大手ゼネコンに、親父の知り合いのコネで就職する。
高校時代の成績は上位にいたので、コネとはいえ、学科も面接も受けたし、きっかけはそうであっても、実力で入った面もあるにはあるが。

ただ、大きい会社には馴染めなかった。
社員が、皆、紺のスーツを着て、上が右を向けば皆右を向くような会社には、俺は馴染めなかった。
会社は大手だから、倒産する事はまずないだろうし、実際、いまだに倒産していない。創立以来、100年以上経っている会社であっても。

そして、その会社に4年程在籍して、夢を追い始める。
4年我慢したのは、親父の知り合いの顔をたてるためだけの理由だった。

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